1910(明治10).11.10~1988(昭和63).12.30
明治43(1910)年、東京生まれ。京華中学卒業後、日本機工研究所を設立。戦後、本田宗一郎を知り、昭和24(1949)年、本田技研工業に常務として入社。経営を担当し、技術部門を担った本田と共に“世界のホンダ”の基盤を作る。39年副社長、48年には第一線から退き取締役最高顧問となり、58年取締役を引退。この間52年4月には藍綬褒章を受賞。63年12月30日歿。享年78。従四位勲三等旭日章を受章。(経営に終わりはない、著者紹介より転載)
注目理由
ホンダといえば技術者である創業社長「本田宗一郎」氏が看板です。日本人の起業家でこの人並に有名なのは「松下幸之助」氏くらいじゃないでしょうか?常に自ら現場に入り、油まみれになりながら改良を重ね、マン島レース、F1と2輪、4輪とも世界の頂点にまでの仕上げた、破天荒な人物として知られ、多くの人に愛されてます。
でも「大企業の社長が常に自ら現場に入って大丈夫か?」って疑問が生じますが、そこは大丈夫。ホンダの「社長」は本田宗一郎ですが、「経営者」は別にいます。それが「稀代の策士」と謳われ、ホンダのもう一人の社長と呼ばれた藤沢武夫です。宗一郎をたてて、常にマスコミからは身を隠して来た人物ですが、彼の存在と10年、20年先を見越してたてた計画と組織作り無くしては、我々の知る「世界のホンダ」、「ホンダスピリット」は存在しえなかったことでしょう。
ASIMOで注目されている本田技術研究所も本田宗一郎という天才が居なくなっても、会社が存続するために何が必要か。また、研究者が研究者として、自らを曲げることなく最後まで会社でやって行くにはどのような組織が必要かを考え抜いた末に、多くの障害を乗り越えて設立した組織です。「白鶴高く翔びて群を追わず」を好きな言葉としてあげ、沈思黙考、ホンダの危機以外は、宗一郎の裏方、影の演出家として、引退の花道作りまで行いました。技術の本田宗一郎、経営の藤沢武夫、二人の運命的な出会いと、希有な信頼関係、常に「世界一」をめざす壮大な夢の共有は、ドラマチックかつロマンチック。世のホンダファンのみならず、多くの人にぜひ知っていてもらいたい人物です。
参考文献
(1)経営に終わりはない 藤沢武夫著 文春文庫
藤沢自身が自らの経験や判断について語った本。基本的にはこの本だけ読めばOK。会社の看板たる本田宗一郎と、経営責任を一手に引き受ける藤沢の役割分担がいかに徹底的に行われていたかがわかる。「万物流転」の法則から逃れるべく、常に数十年先を見越して計画を立て、自分と宗一郎の夢を生き延びさせ、成長させていく「稀代の策士」ぶりが存分に楽しめる。会社倒産の危機の中、ヨーロッパ視察に送り出されて帰ってきた本田が、会社は大丈夫と聞かされて号泣した後、「俺、これ拾ってきたよ・・。」と当時日本に無かった「+ネジ」をポケットから取り出して藤沢に見せるシーンや、両者が引退を決めるシーンとかは、ぜひ映像で見てみたいですね。
(2)ホンダ超発想経営 崎谷哲夫著 ダイヤモンド社
藤沢がマスコミを前に初めて自らの経営論を語った本。当然、「経営に~」との重複も多いが、藤沢が黙して語らなかった「ユーザーユニオン」への憤りや、若手技術者の意見を汲み上げる努力を怠ったため、カローラの登場で爆発的に拡大した自動車産業隆盛の波に乗り遅れたことへの反省などは貴重かつ興味深い。昭和29年の危機を突発的不幸ではなく、藤沢の無茶な資金繰り方法から来た必然事項と捉えていることは、ホンダを考える際に重要な視点と思う。
(3)ホンダの原点 山本治著 自動車産業研究所
(1)の他にどれか1冊読むならこの本がお薦め。藤沢武夫の幼少時代や家庭環境、特にいろいろな事業を志しながらも最終的には成功者に成れなかった父「秀四郎」に付いての記述が貴重。ホンダの後継者らのインタビューも多く、星座がこれだから、こんな性格とかいう間抜けな記述さえなければ、かなりしっかりした内容の本。本田宗一郎が皆から「おやじ」とある種呼び捨てにされているのに対し、藤沢は「おじ上」と、ちょっと丁寧語入ってるところが、彼のキャラクターや社内でのポジションを連想させてくれますね。
(4)鬼才と奇才-本田宗一郎・藤沢武夫物語 小堺昭三著 日本実業出版
本田と藤沢の出会いから引退までを、どちらにも偏ることなく描いているのが特徴。強烈な個性を持つ人間同士がお互いを認めあい、同じ夢に向かって突き進む姿を共感を込めて描いている。ユーザーユニオン事件、空冷水冷論争、CVCC開発といった内容も、宗一郎をきちんと描くことで、かなりわかりやすくなっている。藤沢をえがくと、どうしても宗一郎が藤沢の手のひらで踊ってる「単純な人物」になってしまうきらいがあるが、そう書いていないところがこの本の良さと思う。
(5)本田宗一郎と藤沢武夫に学んだこと 西田通弘著 PHP文庫
本田は社長は宗一郎系の技術者が、副社長は藤沢系の事務屋がサポートする体制が基本。著者は、川島喜八郎と共に藤沢がみずからの後継者と見込んでバトンを引き渡した人物。古参役員の勇退や、人事、総務、経理の刷新など、かつては藤沢一人で行ってきた社内の「重要だが汚れ仕事」をまかされた点にも藤沢の彼への信頼が伺える。藤沢の引退の意志を本田に伝える役目を託された人物でもある。近くにいた人ならではの体温を感じるエピソードを期待していたのだが、理詰めでシステマティックな文体のせいもあって、最初はそれほど面白く感じなかったが、何度か読み直すと二人への敬愛の念がじんわりと、しかも確実に伝わってくる、なかなかの作品です。再読、再々読をお薦めします~。
(6)マン・マシンの昭和伝説 前間孝則著 講談社文庫
戦前から戦時中にかけて、世界水準にあった日本の航空産業を支えた技術者らが、航空機の製造が禁止された戦後、いかにして自動車産業を隆盛にまで導いたかを、日産、スバル、トヨタ、ホンダを代表する技術者らを通して描いた労作。ホンダ代表として描かれる中村氏はF1チームの代表として、宗一郎の空冷至上主義路線と正面から対立した人物であり、ホンダのレース史上最大の悲劇「ジョー・シュレーサーの事故死」を克明に描いている。この本を読むと、空冷から水冷への切り替えに到る宗一郎と若手の対立の激しさが肌で感じられる。ホンダだけでなく、多くの魅力ある人物と、エピソードを取り上げており著者の作品の中でも、ピカイチに面白いので、車好きはぜひ読んでおくように。プロジェクトXでの元ネタとして何度も使われてるくらいですから。なお、おいらのような車好きじゃない人も、充分楽しめます。
(7)本田宗一郎との100時間-燃えるだけ燃えよ 城山三郎著 講談社文庫
引退後の宗一郎への密着取材とインタビューからなる本。まぁ、よくある本田宗一郎本の一つだが、奥さんの「さち」さんへのインタビューと、かつての弟子で独立してオートバイメーカー(丸正自動車)の社長となった「伊藤正」氏のインタビューが異色。藤沢については「もう一人のパートナー」と1章を設けて記述している。伊藤氏の「ホンダが苦しいとき、どうしたか。どういう方法で何をやったかということ、全部調べさせた。藤沢さんには頭が下がったな。たいしたひとだ。おれには性格的出来ないことも・・。」という話に、29年の危機時に、支払いの一時棚上げと、発注の削減という下請け企業に相当過酷な条件を呑ませたことが、周りから見ても「酷いことするなぁ。」と感じさせていたことがわかる。また、代表者印を藤沢に預けたままで、自らは重役会議にも出席しないっていう本田宗一郎の藤沢に寄せる信頼の徹底ぶりも凄い。この本でも、ホント悪く言ってないですね。
(8)本田をつくったもう一人の創業者 大河滋著 マネジメント社
元ホンダのバリバリの営業マンだった著者が、退社後、経営コンサルタントになってみて、初めて実感した経営者としての藤沢武夫の業績について記した、新しい藤沢本。(5)の著者の西田氏らのように一緒に仕事をした世代ではないので、ちと距離感も感じるが、藤沢が造りあげた企業風土とシステムの中で、不満も持ちながらバリバリ働いていた著者が、自らの手で起業してみて、その偉大さを実感として捉えている点が良いところ。藤沢の葬儀にさいして宗一郎氏や久米社長らの示した、藤沢への愛情と敬意が胸を打つ。
(9)燃えるホンダ技術屋集団 碇義朗著 ダイヤモンド社
藤沢が万物流転の法則から逃れるため、「天才」本田宗一郎の代わりとなる100人の「小」宗一郎が活躍できる場として造りあげた「技術研究所」の誕生とその成果を、初代から3代目までのシビック開発を通して描く。「燃えるだけ~」とほぼ同時期に書かれた作品だが、宗一郎、藤沢らに直接触れた最後の世代の青春群像として描かれている点が特色。最後の空冷エンジン車「ホンダ1300」に賭けた宗一郎の情熱の凄まじさに(方向としては間違っていたにせよ)圧倒される。空冷で低騒音、高性能を確保するため、エンジンブロックは二重構造、オイル循環システムはポルシェやフェラーリしかやってないドライサンプ!(湾岸ミットナイトの城島さん、日本にもドライサンプ車ありましたよ)排気量はカローラクラスの大衆車風だが中身はスパースポーツカー。これじゃぁ、売れば売るだけ赤字が出るはずだよ。しかし、この時の宗一郎と若手技術者の技術上の対立と苦闘が後のホンダの大きな財産になったことも良くわかり、空冷エンジン開発に嫌気がさして2ヶ月もの無断欠勤を行った、久米氏、川本氏が(8)の本では3代目と4代目の社長として登場するのがなんだか微笑ましい。(社内では宗一郎に対し、技術論で最後まで争った久米のガッツというか男気が高く評価されており、次は久米だろという雰囲気があったとのこと。次期社長を決めたのは宗一郎じゃなくて河島氏ですから、ここはそれが可能な社風を作った河島元社長を誉めるべきかな。)
(10)本田宗一郎 男の幸福論 梶原一明著 PHP研究所
宗一郎人生と語録の説明と通じて、著者の考える幸福な人生論を展開する型の宗一郎本。でも、そんな部分はどうでも良くて、末尾に付録の形で載せてある昭和34年の社内報から転載された、座談会が非常~に面白い。田舎の幼友達、宗一郎の師に当たる奉公先(アート商会)の旦那、販売会社や下請け企業の社長が登場し、藤沢、本田弁二郎、河島ら、本田創業時の主力メンバーらと、ざっくばらんな会話を繰り広げる。当事者ばかりなので、伝説色の排除された会話が楽しい。宗一郎が部品メーカーと一緒になってやった技術的業績(Vプーリ等)、浜松では「キチガイ扱い」されもてあまされていたこと、藤沢が商品を送っても金を払わない販売店をすべて排除する気だったことや、月400万円しか売り上げがない昭和24年に、生産と販売を軌道に乗せて月商5億の計画を本田と語り合っていたなど、重要な話もある。(ちなみに、34年時は月商10億!)また、実弟である弁二郎氏の貢献の大きさが伺えるのも貴重で、やはり原資料って大事だなぁと思いましたわ。座談会での藤沢は厳しい突っ込みが光ってます。
(11)HONDA商法 三鬼陽之助著 カッパビジネス
経済雑誌「財界」の創刊者で経済ジャーナリストの重鎮である著者が、脂ののりきっていた時期に、同じく大躍進を遂げていたホンダを他の大企業の実例と比較して取り上げた、最も初期のホンダ本の一つ。もちろん宗一郎氏も藤沢も現役。引退後に書かれた本に登場する、和服の大人姿と異なり「社長の座を狙っている」と書き立てられていた時期の蓬髪、背広姿の藤沢の写真が珍しい。いかにもパワフルな印象を与える写真で、本人は引退に向けて「大部屋役員制度」の確立と、役員達への権力委譲を進めていたにもかかわらず、周りからホンダとの不仲説を書き立てられていたのも、わかる気がする。実例が多く、後のホンダ本の元ネタも多く含まれる好著。(7)の本で、「トヨタや日産なら7000冊は買ってくれるところを、ホンダは7冊だけだったよ。」と苦笑と共に語られた本はたぶんこの本でしょうね。
(12)社史-創立七周年記念特集- 本田技術工業株式会社
ホンダ創立7周年(昭和30年)に発行された社史。従業員数2494人ながら日本で2番目の自動二輪製造会社でありながら、前年の危機を全社一丸となって乗り切った自信もあり、遠からず世界一になると言い切っている、かな~り熱い社史。ホンダ7年の歩み、社長(宗一郎)言行録、専務(藤沢)言行録から成る。社長と専務の言行録の分量は同じだから、これだけ見ても藤沢の占める大きさがわかる。ちなみに役員の写真も、藤沢だけ宗一郎と同じページに同じ大きさで載ってる。言行録の内容は「専務がまた社長の話を真似をしてる。」と悪口を言われていたというだけあって、二人の話す内容はほとんど同じ。まぁ、宗一郎談話の中には、明らかに藤沢の手によるっぽいもの(現代芸術の話とか)もあるが、社長言行録がかなり整理された公式談話であるのに対し、専務言行録はもっとフランクに、エッセイっぽく書いており、意図的に使い分けているのかなぁとも思う。当時吹き荒れていたデフレの嵐の凄まじさを感じることもでき、宗一郎の理想と藤沢の苦闘が体温として伝わってくる好著。やっぱ原資料って良いよなぁ。今読むと非常に面白いが、入社直後の社員に読ますにはちと生々しすぎないかぁ。
(13)流行の度胸 藤沢武夫著 本田技術工業株式会社
上記社史と一緒に発行された、藤沢のエッセイ集。この本を通して経営幹部のフランクな人柄に触れて欲しいとの意図で発行されたようだが、単なる藤沢の趣味としては変ですし、このような本を出さねばならないほど社内に藤沢の敵が多かったと言うことなのでしょうか?この辺、ちと謎ですな。経営的な話はあまり無く、のんびりした雰囲気のエッセイが多い。宗一郎は、行商の薬屋に騙されて怪しげな精力剤を購入し、一日寝込んじゃう役で登場。大映とのタイアップ映画への入れ込み度合いに、映画興行を行っていた父「秀四郎」の影響を感じたり、将来へのステップボードとなった大失敗作「ジュノー号」とディーラーの話など、藤沢ファンにとってはなかなか楽しめる作品。表紙は藤沢の奥さんが描いたとのこと。この本は他の文献で取り上げられているのを見たことがないので、かなりのレアアイテムじゃないかな。
(14)隗より始めよ 西田通弘著 PHP文庫
(5)の本の著者である西田氏による「体験的・ホンダの人間学」という副題の付いた本。出版はこちらが先で、(5)が回想録的とすると、こっちはもっと一般的構成のビジネス指南書。発売当時は結構売れたらしい。藤沢ネタに特化した記載はあまり無いが、昭和29年の危機時に、自分と宗一郎だけでなく、創業以来の役員らが所有する全株式を借入金のカタとして三菱銀行に差し出そうとした覚悟が語られる。29年の危機は藤沢の活躍のみが語られることが多いが、多く読んでいくと、宗一郎の行動にも頭が下がる。会社が潰れても本田宗一郎を傷つけないために、藤沢によってヨーロッパに視察旅行に出された宗一郎が、ホンダが潰れる夢にうなされる情況の中で、彼我の技術の差を目の当たりにしながら、よくも最新の技術を頭に入れ、外貨限度一杯まで部品を買い込むことができたと感心する。会社潰れたらそれも無駄に終わってしまうだろうに、藤沢に寄せる信頼と、技術者としての自己の使命を認識する能力が、その努めを最大限に果させたのであろうが、誰にでも出来ることではない。帰国した空港で藤沢から「ホンダは大丈夫だ。」と告げられ号泣する姿に、藤沢を含む多くの人に愛され尊敬された宗一郎の繊細さを内包する強い意志が伺える。
(15)わが友 本田宗一郎 井深大著 文春文庫
SONYの創業者にして、宗一郎と並び称される、戦後を代表する企業を造りあげた著者による宗一郎回顧録。かなり異なる性格でありながら、お互いを深いところで認めあっていた間柄ならではの視点で、宗一郎の細やかな心遣いを語る好著。亡くなる二日ほど前の真夜中に、奥さんに「自分を背負って病室の中を歩いてくれ」といい、最後は「満足だった」という言葉を残して、あの世に旅立ったことを、さち夫人から聞かされ、「これが本田宗一郎という人の本質であったか」と、とめどなく涙を流した井深氏は、表紙に宗一郎の絵を配し、二人が胸に抱いてきた理想と信念を訥々と語っている。
(16)私の手が語る 本田宗一郎著 講談社文庫
宗一郎によるエッセイ集。冒頭に仕事をする右手の補助として、叩かれ、突かれ、切られ、爪も何度もはがした傷だらけの左手の絵とその時のエピソードが記載されている。この傷だらけの左手が、自分のやってきたことを全て知っており語ってもくれてもいると、誇りと自信を持って語った直後、いきなり「また、私にはこの手より何より大切な存在がある。二人三脚の経営者として、苦楽をともにしてきたホンダの元副社長・藤沢武夫である。藤沢がいなければ、今の私はない。骨張った自分の手を見るたびに、そういうことが思われる」と続く。他人から見ると話題の飛躍に唐突さを感じる箇所だが、宗一郎にしてみれば、自分が右手としてやりたいことをやってこれたのは、支えてくれた左手(=藤沢)があってこそと本心から思っており、何ら違和感はないのだろう。宗一郎のインタビューを多く読むと、必要以上と言って良いほど(実際インタビュアーは藤沢については何も聞いていないにも関わらず)、藤沢のすばらしさと彼への感謝をことあるごとに語っていることに気付きますね。エッセイ集としても、アート商会の華族の先輩が志波男爵の息子であることや、源頼朝の成功の影に彼のブレーンであり「幕府」というシステムを考えついた大江広元の功績に着目するなど、宗一郎視点を知る上で役に立つ内容を多く含んでます。
(17)技術と格闘した男-本田宗一郎 NHK取材班著 NHK出版
NHKスペシャル「我が友-本田宗一郎~井深大が語る“技術と格闘した男”」が元になっており、映像資料と当事者達へのインタビューが豊富な、孫引きの少ない良書。久米三代目社長の空冷水冷論争時の話や、さち婦人、宗一郎の妹への貴重なインタビューの他、末尾にA型自転車用補助エンジン、ドリームE型、スーパーカブ、H1300、シビックといったホンダの歴史を飾る製品の、写真とエピソードが列記されており、アメリカでのスパーカブ大ヒットの引き金となった「Nicest People on a Honda.」 のポスターも掲載されている。カブで「犬を運ぶ人(なぜ落ちない?)」「子供を後ろ向きに乗せてる人(すげぇ危ない)」「小脇にサーフボードを抱えて運転する人(いくらなんでもそりゃ無理だろ!)」ら9人のイラストが掲載されているものだが、どう見てもNicest Peopleとは思えない内容が凄い。製品が素晴らしかったとはいえ、このポスターを受け入れちゃうアメリカ人って・・。
(18)本田宗一郎の人の心を買う術 城山三郎、河島喜好他著 プレジデント社
2代目社長河島喜好、同副社長西田通弘ら後継者たち、城山三郎等宗一郎本の著者、息子の本田博俊らによる、これまでに取り上げた中で最高の質と内容を有す宗一郎本。引退後の宗一郎へのインタビューも多く含む。特に社歴で言えば藤沢の先輩に当たる河島は社長引退後、表だって発言することが非常に少ないため、超~貴重。設計主任、のちには経営者として実際の舵取りを務めただけあって、落ち着いた発言の中にも、鋭さと格闘の歴史を感じさせる。藤沢関連では「29年危機」のどん底時に、藤沢が「あんたには、人を引きつける魅力“華”がある。会社が駄目になったら、あんた教祖にした新興宗教をやろう。裏方は、全部あたしが引き受ける。」ともちかけ、宗一郎も乗り気になるというエピソードがある。いくらなんでもそりゃ無いだろと思ったが、「私の手が語る」にもこの会話は取り上げられており、まんざらウソでもないようだ。藤沢の下請けに対するごり押しの懇願で何とか乗り切ったものの、戦後の混乱期を「死んでもヤミ屋だけはやらない。一緒に本道を歩こう。」と誓い合った二人も、こんな話に夢を託さねばならないほど追いつめられていたということか。
河島に譲る前に藤沢を一度は社長にしてやりたいと宗一郎が考えていたと言うことや、「勲一等を貰えるのも六本木(藤沢)のおかげかもしれねえな。でも、六本木だけじゃないな、すぐ思い浮かべたのは六本木の顔だが、続いて従業員や関連会社のオヤジの顔も思い出した。こりゃみんなで貰ったものだ、とジーンとした。」など、人の気持ちを真剣にくみ取り続けた、宗一郎らしいエピソードを多く含む。宗一郎本の中では迷わずこれをお薦めしますね。
(19)吾輩は猫である 夏目漱石著 新潮文庫他
夏目漱石のデビュー作にして明治期を代表するユーモア小説。久々に読み返すと凄く面白く、この本は高校生以上、出来れば働き出してから読んだ方が楽しめると改めて思った。主人である苦沙弥先生の弟子で理学士の水島寒月君が、日露戦争の沸き立つような混乱の最中に、大学の研究室に籠もって、何時終わるとも知れない研究に打ち込んでいる姿を読んだ藤沢が、「研究者が定年まで誇りを持って、働くことの出来る組織作り」の必要性を認識し、本社とは別組織の本田技術研究所設立の由来となった事は有名。作品中でも言及されているものの、全く戦時色を感じないこの呑気な作品を読んで、上記のような発想に到るというのは普通じゃないというより、そーとう変。大体寒月君、研究途中で止めちゃうし・・。本来、理系じゃない藤沢が、製造会社経営者としての百年の計として、技術者が誇りを持てる生き方について常に考えていたと言うことでしょうかね。なお、寺田寅彦をモデルにしたとされている寒月君は、寺田寅彦の随筆集や伝記、理研の歴史などを押さえてから読み直すと、本人は否定するものの、もうモロ寺田寅彦。高知出身で、なぜか漱石(苦沙弥先生)になついている理学士で、しばらく合わないと思ったら田舎でいきなり結婚して帰ってきたりと、まんまやーん。障子のしわを指して「あの表面は超絶的曲線で到底普通のファンクションではあらわせないです。」という、いかにも理系チックな台詞も笑えるが、この内容を漱石が理解していたことを思うと、ちょっと凄いなと思う。
(20)藤沢武夫の研究-本田宗一郎を支えた名補佐役の研究 山本裕輔著 かのう書店
今となっては、ちょっと手に入りにくい藤沢本。著者自身が藤沢と面識が無いという大きな欠点を持つため、前半部の80%近くは他の本からの引き写しで、特に「ホンダの原点」からの引用が多い。しかし、第7章“人生の達人“だけは他の本で書かれることの無い、引退後の藤沢の日常生活、映画監督「村野鐵太郎」との交流、心筋梗塞で急逝する当日の様子が、家族らの証言を元に描かれており、貴重。
(21)豊臣秀長-ある補佐役の生涯 堺屋太一著 文春文庫
藤沢が昭和期でもっとも著名なNo.2ですが、日本史上最高のNo.2となると兄「秀吉」の全力疾走を支え続け、ついには、天下人にまで押し上げた弟「豊臣秀長」といって良いでしょう。裏方仕事だけでなく、豊臣軍団における卓抜した武将、有能な行政官、戦国期における信頼できる調停者としての彼の業績を知らしめたのがこの本。No.2を補佐役と呼ぶのもこの本以降です。日本史上最高のサクセスストーリーを、世知に長けた常識人である秀長の視点で描くため、テンポが良く、感情移入のしやすい作品。個人的には著者の作品中一番好き。秀吉ものの中でも上位にランクされる作品と思いますわ。
(22)器に非ず 清水一行著 光文社文庫
本田と藤沢の“美しい引退”の美談には裏があるのではないかと、15年間調査し続けた著者が、引退の前年藤沢が三菱銀行から個人資産(60億円)を引き出したという情報を核に描いた「アンチ藤沢小説」。天真爛漫で大器量の天才技術者と組んだ、人物としての格の落ちるブローカー上がりの男が、経営の不手際から、何度も会社を窮地に立たせながらも、何とか会社は大企業に成長し、最後に社長の椅子を目指して策略を張り巡らすが、相方の大器量の前に敗れ去るという内容。藤沢が主人公である小説というのは、この本のみだろう。鈴鹿工場建設、研究所設立もすべて自らが社長になるための策略として書かれているなど、徹底して藤沢を小物として描いており、ここまでやるとある意味凄い・・。藤沢の使いっ走りの超小物として「塊より~」の西田氏と思われるキャラも登場。個人的には29年危機が藤沢の楽観的で町工場的な経営内容にあったというのは同感だが、社長の座を狙っていたことに関しては“なぜ社長になりたかったのか”、“解約した60億円もの金はどこへ行ったのか“への言及が無く、「ここまでやったのだから社長になりたいと思うのが当然」という前提に立っているだけなので、薄っぺらい感が強いのは否めない。しかし「こういう見方もあるよな。」という意味では、すごく貴重。結核を病んだ恋女房に良い所を見せようと奮闘するなど、小市民ではあるがロマンチストとして描かれているところなど読んでいて楽しい。藤沢ものとしては、外してはならない1冊。
(24)本田宗一郎伝-飛行機よりも速い車を作りたかった男 毛利甚八作、ひきの真二画 小学館
藤沢が登場する貴重な漫画作品。原作者、漫画家共にかなりしっかりした人を使っているので、この手の漫画にしては出来が良い。(ひきのさん、今だともっと絵が上手いけど)キャラが4頭身なのが読み始めは気になるが、慣れるとそうでもない。本田、藤沢、河島、中村、久米などはそれなりに似せて描いていますしね。藤沢は「経営に~」や宗一郎の本をベースにしてるので、先見性をもち、社長と同格の大物副社長として活躍。全9章中、ほぼ2章分に主人公格で登場します。ドリームE型の箱根越えを、わざと史実と変えて描いているが、こだわった割にはあまり意味が無い気も・・。ホンダの通史としてもわかりやすく、導入には良い本です。あと、宗一郎の奥さん「さち」さんが、かわいくていい感じです。
(25)得手に帆あげて-本田宗一郎の人生哲学 本田宗一郎著 三笠書房
藤沢は「友情の力は水と油さえ一つにする!」の項目で「私の一番親しい友」として登場。というか「自分に無いものを持ち、お互いに信頼し尊敬しあう相手」と“友”を規定して規定しているので、当然藤沢が出てくる。これだけだとSONYの井深氏でも良いが“意見の衝突や見解の対立があっっても、それは理解を深めるための努力だ”とも記されており、最初から藤沢を念頭において書かれた事がわかる。宗一郎本としてはメジャーな作品だが、個人的にはあまり評価してない本ですね。
(25)TOP TALKS-先見の知恵 本田宗一郎、藤沢武夫、河島喜好著 本田技研工業株式会社(非売品)
ホンダの設立35周年事業の一環として社内向けに出された本。ホンダの元経営者たちが会社運営の真っ只中に居たときに、社内向けに書いた文章をまとめたもの。一見ばらばらな内容に見えるが、読み込んでいくとその当時のあせりや躍動感、停滞感まで伝わってくる好著。もっとも今のおいらの力量では、それほど深く踏み込めてないのも事実か。なかなか入手が困難な本だが、それだけの価値はある。中小企業の経営者が読むともっと有意義だと思う。河島氏については、発言をまとめた本が少ない事もあり、その意味でも貴重。
(26)松明は自分の手で-ホンダと共に25年 藤沢武夫著 本田文庫
藤沢の数少ないそして入手困難でも知られる著作の文庫版。ハードカバー版は産業能率短期大学から出版されているが、文庫版はホンダの創立記念事業の一環として作られたっぽく非売品かも。期待していたのだが、二部構成中第一部は「経営に終わりは無い」とほとんど同じで、実名を挙げて役員たちを誉めてるとこがあるだけ・・。第二部は「TOP TALKS」の藤沢の項とほぼ同じ。欲しがってる人も多いと思うが「経営に~」を持ってれば特に必要ないと思うッス。期待が大きかっただけに、ちょっとショックだなぁ・・。
(27)本田宗一郎 夢を力に-私の履歴書 本田宗一郎他著 日経ビジネス文庫
本田宗一郎が55歳の時に日経に掲載された「私の履歴書」を第一部とし、履歴書後から亡くなるまでを追いかけた第二部、本田宗一郎語録としての第三部からなる。まだ自動車製造も始めていない若干55歳、現役バリバリの社長なのに「私の履歴書」に掲載されるのってかなり凄いことです。本田伝説のベースとなる文章も多く貴重。第二部は編集部でまとめたものだが、ホンダの成長を支えたのは藤沢との考えに立って、藤沢のことに非常に多くのページが割かれている。しかし、好意的な記載の中に藤沢と宗一郎の対立を含んだ緊張関係も垣間見える。藤沢が西田専務に指示し本田に辞意を伝える有名なシーンも宗一郎の外遊中にマスコミに自分も本田も辞めると情報をリークし、マスコミが空港に詰め掛ける中、帰国直後の本田に切り出したことになっており、かな~りデンジャラスなシチュエーションです。藤沢はこの事を「24年間の交際の中でたった一度の大きな誤り」と呼んでいますが、シチュエーションを考えると深いものがありますね。
(28)THIS IS HONDA1300 95PS SUPER SEDAN 77SERIES 本田技研工業株式会社
ジュノー号と並ぶ宗一郎時代の「偉大なる失敗作」であるH1300のカタログというかメカニズムの説明書。宗一郎の夢と技術を詰め込んだ日本唯一の空冷ドライサンプエンジン搭載車で、相当野心的な設計を盛り込んだ車。しかし、度重なる設計変更と必要以上にコストの高い部品、複雑さゆえの生産性の低さから元々利益率が低いうえに、ユーザーに受け入れられなかった事もあり、宗一郎が技術部門のTOPから身を引くきっかけとなった。この本もひたすら技術的内容について記載してあり、今の目で見てもかなり面白い技術(低速時と高速時用ジェットの使い分け、上下関係なく挿せるキー、二重構造のシリンダーブロック(←激重!)など)が満載されていることがわかる。しかし、一般ユーザーはピストンの寸法公差などには興味が無い事は明白で、宗一郎の暴走っぷりもひしひしと伝わってくる。「部品最適の積み重ねが全体最適ではない」という工業生産の隠れた原則が実感できる。なお、会社を引退するまで宗一朗が通勤用の愛車として用いていたのもH1300であり、この車に寄せた宗一郎の思い入れの深さを感じることができますね。
(29)ホンダ神話-教祖のなき後で 佐藤正明著 文春文庫
四代目社長川本氏による退任までのホンダの歴史と混乱を描いたノンフィクション。日経記者時に藤沢にも宗一郎にも河島以降の社長や役員にも面識があるだけあって、ゴロゴロあるホンダものでは格付けが高い方の作品とされている。まぁ、提灯本じゃないのは確かか。宗一郎引退情報を藤沢がリークしたことについては、“ユーザーユニオンとの訴訟で傷ついたホンダの悪いイメージを宗一郎と自分が若くして引退することで断ち切り、すぐ後に発表が予定されていたCVCCエンジンを持ってホンダのクリーンイメージを強調しようと考えた“としている。「ホンダの経営者は藤沢」と規定していて、藤沢にはかなり好意的。「本田工業」vs「藤沢商会」のトップである二人が現役時には敬愛よりも敵愾心に満ちた緊張関係にあったとの断定や、藤沢が引退後の著作の中でも、綺麗かつ感動的なホンダと宗一郎のイメージを“作りに“いっており、周りの人達は実情を知ってるので、その手の本は一切読まないってのが怖い。冒頭に挙げた、宗:「まあまあだな。」藤:「そう、まあまあさ」で知られる、さわやかな引退シーンも「あれは良かったろう。(あたしが創作した中で)最高の傑作だ。ああしておけば、西落合(宗一郎)も(あたしも)傷がつかない。逆にホンダのイメージが高まる。」と著者に語ったそうである。
(30)冬のひまわり 五木寛之著 新潮文庫
16歳で出会って20歳で別れた思い出の場所、鈴鹿サーキットで6年後に再会した男女のその後7年間の逢瀬と決断を描くロマンスもの。個人的には登場人物たちと年齢が近いにもかかわらず、誰にも感情移入できなくって、薄い本なのに読むのはきつかった。特に主人公の二人がおいら的にはぜんぜん駄目。なんつーか、友達には成れないな。著者の鈴鹿サーキットへの深い思い入れを藤沢はわが意を得たりと手放しで喜んでいるが、まぁ、それだけ。
(31)本田宗一郎の真実-不況知らずのホンダを創った男 軍司貞則著 講談社文庫
極身近に使えた人たちへの取材を通して、伝説部分を剥ぎ取られた宗一郎と藤沢の赤裸々な姿が描かれる好著。「本田宗一郎の~」という題名にもかかわらず、内容としては藤沢についての記載の方が、ある意味宗一郎の分を上回っているところが凄い。情報量と質から考えると現状では「ホンダ神話」より上か。子飼いと云ってよい河島からも「会社のことを考えると辞めてもらった方が良い」といわれるほど技術について行けずダメダメになっていた宗一郎や、貧乏暮らしが長かったので、カツ丼食べにリムジンで裏道に乗り付けたり、法外に高額なチップをばら撒いたりと自らを必要以上に大きく見せようと振る舞う藤沢の姿など興味深い。読了するとエネルギッシュだがかなり空回りしている宗一郎と、有能だが自意識過剰な藤沢の姿が浮かび上がってくる。引退後、ホンダの役員の葬儀に出席した際、誰も近づいてくるものが無く、寒風の中一人立ち尽くす藤沢の姿と、それでもなお枯れぬホンダへの熱い思いが、力強くも痛々しい。個人的には、いきなりこれから始めるのではなく「経営に終わりはない」と「ホンダ神話」の後で読むことを薦めます。
(32)もう一人の本田宗一郎-本気で怒り、本気で泣いた男 原田一男著 ゴマブックス
引退後の宗一郎の秘書役を長く務め、本田家の執事的役割を果たしていた人物による宗一郎回想記。期待していたほど内々のエピソードは語られていないが、地方での講演の際、会場近傍で運転を変わり、自らがハンドルを握って会場入りすることで「あの本田さんがここまで運転して来てくれるとは。」と思わせるなど良く云えば気配り、別の見方をすれば自己演出に長けた宗一郎が興味深い。理屈はともかく、宗一郎の元気さは伝わってくる本。
(33)語り継ぎたいこと-チャレンジの50年 HONDA
ホンダの50周年を記念して出されたCDと冊子からなる正統な社史。正史なので裏側のエピソードはほとんど無く優等生的な内容だが、所々で登場する河島元社長のちょっと辛口なテイストが楽しい。どちらかといえば会社全体より個々の商品の開発、セールス時のエピソードを楽しむ本。個人的には本よりもCDよりも、WEBで見た方が情報の広がりやリンク感が楽しめて良いと思います。
(34)ホンダの歩み1948-1975 本田技研工業
ホンダの25年を節目として編纂された社史。なので制作時期は「TOP TALKS」と同じ。二人の創業者が引退して2年。河島社長、川島、西田両専務によるトロイカ体制による運営が確立していることは、役員室の写真で3人が対等的立場で移っていることにも示されている。社内制度の確立過程や製品の変化などもわかりやすく示されており、しっかりしたできの大会社らしい社史。かな~り破天荒な内容であった創立7年目の「社史」から鑑みると随分大人になったなぁと。まぁ、普通7年目で社史は出さないから、それは言いっこ無しだが。
(35)語りつがれる原点 本田技研工業
2003年7月に始めた社内報の連載コラム「語りつがれる原点」を従業員の大反響を受けて1冊の本にまとめた品。2000年時点で最新のホンダ社内本であり、どうせ全編「宗一郎ネタ」なんだろうと思って読んだら、全12編中のうち藤沢が出ないのは2編のみ。しかも冒頭と末尾を含む1/3に相当する4編が藤沢本人の文章であり、宗一郎の影の薄いこと・・。いまやホンダはこんなことになっていたのかと逆に驚愕。ある意味、現時点で最強の藤沢本。藤沢を「高士(人格の高潔な人)」と追悼する杉浦英男元会長の文章が泣かせる。
(36)松明は自分の手で-ホンダと共に25年 藤沢武夫著 産能大
文庫版の感想ではボロクソに書いたが、当時出た版で読み直して見ると全く違う印象。冒頭に宗一郎との爽やかな引退の話(藤沢の創作)を持ってきている点や、後継者である河島社長、川島、西田両副社長のホンダ発展期における業績について実名を上げて賞賛するなど、「宗一郎と自分の間には喧伝されていたような対立は無かった。後継の3人もホンダを任せるに足る立派な男達だから、心配しなくていいんだ。」と皆に訴えた書である事がわかる。いわば三国志の「死せる孔明、生ける仲達を走らす」を連想させる、ホンダの大軍師が自ら無き後のホンダの為に打った最後の乾坤一擲の策。ホンダへの尽きる事の無い思いが詰まった熱い書であり、おいらは若造だった為、読み込みが甘かったことを深く反省しています。
(37)ホンダ商法の秘密-壮絶藤沢武夫語録 三島豊成著 秀英ビジネスブック
本社とも研究所とも違い藤沢が自らの意思で設立し、運営を続けたホンダランド(鈴鹿サーキット)で直接藤沢の薫陶を受けた著者による、生の藤沢の思想と行動の記録。製造業であるホンダの本体から切り離された存在であるが故に、より純然たる藤沢色の強いサーキットの経営哲学が実例に沿って紹介されている。実務者ならではの微に入り細に入った実務の内容とその背景にある藤沢の思想が明確に提示されており、藤沢のある種の理想主義者じみた経営哲学を知る上では他の追従を許さない良著。なぜ、余り知られて無いのかが不思議なくらいだ。ちなみに従業員間における藤沢の真のニックネームは、その神出鬼没さとパワフルさから「ゴジラ」と呼ばれていたとの事。なるほど、しっくり来る綽名だな。
(38)本田宗一郎と「昭和の男」たち 片山修著 文春文庫
メインの主人公は二代目社長の河島喜好。氏のホンダ入社時の詳細なエピソードから始まり、昭和29年の危機を受けた「マン島TTレース出場宣言」から始まる、世界二輪レースへの参戦と、マシン開発の苦闘、三年目での完全勝利の軌跡を描く。河島氏以外にも新村公男、久米是志などホンダ創世記を彩る人々の若き日の苦闘が丁寧に描かれる。二輪レースでも事故死者が出てるんですね。知らなかった。“宗一郎に一番怒られた男“といわれる新村氏を戦前からの宗一郎子飼いの職人達が「あれは頭が悪いんだから、気にするな。まぁ、飲め。」と慰める姿がいい感じ。インタビューの幅も広く、お奨めです。
(39)「無分別」のすすめ-創出をみちびく知恵 久米是志著 岩波アクティブ新書
ホンダの三代目社長でもある久米氏が自己の経験や、若い技術者達の苦労の過程を見てきた管理者、経営者時代の経験から、何か新しい「もの」や「こと」を作り出す「創出」についての普遍的な法則化を試みた書。久米氏自身の経験談が語られた書は少なく、その点かなり貴重。有名な空冷-水冷論争の前に、1000ccクラスの空冷エンジンを何台か試作しており、研究所の技術者達の間では「こりゃぁ、駄目だ。」という共通認識が成されていたことや、水冷化によるマスキー法のクリアーに関して藤沢に「水冷ならできるの?」と聞かれた際には、技術的にはわからないけど、空冷が駄目なので「(水冷なら)できると思います。」と答えるしかなかった経緯などが語られている。普遍化の為“無分別”を含め、仏教用語や哲学用語を汎用していて、結果としてその箇所が凄く読みにくいのがちょっともったいないが、面白い書です。
(40)男の引き際 黒井克行著 新潮新書
9人の男達の引き際を例に取り、男にとっての引き際のあり方を考えた書。本田宗一郎と藤沢の引退についても取上げられているが、古典的な美談を全く脱してなく「今時、これかよ・・」と正直思う。他の人達(江夏豊、寺尾など)のエピソードは、実際にインタビューをしている事もあってか、結構面白いので、ここだけが凄く軽い感じになってしまっているのが気になる。
(41)TOP TALKS-語り継がれる原点 POLEPOSITION別冊 本田技研工業株式会社(非売品)
2006年11月17日の本田宗一郎生誕百年を記念して刊行された書籍。本田技研設立35周年目に出された本田宗一郎、藤沢武夫、河島喜好ら二代目社長までの談話をまとめた“TOP TALKS”に、河島氏以降に社長となった久米氏、川本氏、吉野氏、福井現社長のインタビューを追加してある。河島氏、久米氏らが本著の刊行に際し、新たに行ったインタビューは新エピソードも抱負で貴重。付属のDVD(全28分)には藤沢の肉声が8分にわたり記録されており藤沢ファンにとっては大満足の出来だ。
(42)週刊朝日 9-7(第78巻第39号通巻第2864号)、1973年 朝日新聞社
“対談<本田宗一郎、藤沢武夫>後継者のテストドライブはOK“の掲載号。当時公開されたもっとも公式見解的なインタビューと言って良い内容で、創業者である二人が一緒に思い切りよく身を引くさわやかな退陣を上手く演出し、後継者達がすでに何年も前から実質的に経営の任に当たっていて何も心配する必要がない事を積極的に語っている。二人っきりでの対談は初めてというのはちょっと興味深い。
(43)新評1969年7月号(通巻第188号)評論新社
猪野健治氏による異色人物解剖“火の車「ホンダ」を支える藤沢武夫-話題の車、ホンダ1300を作った男の執念“を掲載。社運をかけた普通乗用車ホンダ1300を発表した昭和44年、ホンダの営業、経営部門を率いる藤沢武夫の人物像と、彼の抱える問題を取り上げている。発表後、その性能には高い評価を得、生産性や製造コストの問題はまだ明るみに出ていない段階であるが、N360販売経路を巡っての大手ディーラーとの対立と彼らのスズキへの大量離脱、普通自動車では必須である月賦販売に対し心許ない社内保留金、自社株買い疑惑など、厳しい指摘を多々含んでいる。その割には、なぜか基本的に好意的なのが不思議な感じですが。
(44)ホンダの歩み1973-1983 ホンダの歩み委員会編 本田技術工業株式会社
10年間社長を務めた河島喜好氏が退陣し、第三代社長久米是志氏、副社長に吉沢幸一郎氏が就任した創立三十五周年を期に編纂された社史。社史としてはたぶん3冊目。この10年で二輪、汎用機メーカーから自動車会社へと大きく変貌を遂げたことを実感させる内容。河島氏の引退の際、取締役兼最高顧問であった本田、藤沢両人は取締役から退くこととなり、名目共に藤沢はホンダの経営から引退した。しかし、河島氏の文章が3ページ、新社長の久米氏が2ページ、宗一郎が新旧両社長交代時のスピーチわずか1/4ページに対し“三十五周年を経たあと”と題した藤沢からの聞き書きは7ページにも及ぶ。この中で万物流転の法則との格闘、そこからもう一歩踏み込んだ「企業はアートである」という思想は、晩年の藤沢の生活を考えても興味深い。また、準備を重ね、本来大躍進のチャンスであった時にホンダを襲ったN360欠陥車問題が副社長を引退して10年になる藤沢にとって、未だ痛恨の出来事であったことが伺えて貴重。
(45)別冊実業の日本-自動車特集(1969年新年号) 実業之日本社
藤沢武夫による“ホンダ商法の狙いを公開する”を掲載。従来、代理店所有の工場で行っていたメンテナンスやサービスを、メーカー直営のサービスファクトリー(SF)にて行うこととした狙いを語っている。もともと自転車、バイクを取り扱っていたホンダの小規模代理店に修理工場を持つ余力がないことと、ホンダが自動車業界に新たに参入したことに対するユーザーの不安を解消でき、全国で同じ品質のサービスを提供できるなど、藤沢の発想による斬新且つ画期的なシステムを、自信を持って説明している。しかし、軽自動車N360の大ヒットを受けて新たに売り出されるH1300については、宗一郎のいう「世界のどこに出しても恥ずかしくない車」という言い分を“信じる“という切り口でしか語れないなど、宗一郎率いる技術部門への距離感とその暴走を止めるシステムを有していなかったことも伺える。
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(46)HONDA・サービスマニュアル ホンダジュノオM85型 整備編ー点検要領 昭和37年12月10日発行
当時のホンダとしては巨額の開発費をかけて作り上げたものの、あまりにも重く壊れやすかったことから会社を傾けてしまったスクータージュノオ号の整備マニュアル。不具合発生時の現状から推定要因を記し、それぞれに対する点検、対策、テスト方法をきちんと数値化して示してある。わかっている整備士の人が対称なので文章のみだが、この時点で調整範囲をきちんと数値化できているのには感心した。自分も設計した装置のマニュアルを自分自身で何度か作ったが、調整範囲の数値化と想定要因はここまで細分化できてなかったなぁと反省。あと写真が多ければ、今使っても問題ないレベルの点検要領集だと思う。
関連資料
(1)経営に終わりはない-WALKMAN BOOKS 藤沢武夫コメント、槇大輔ナレーション EPIC/SONY INC.
(1)のカセットブック。冒頭に藤沢本人の貴重なコメントを収録。予想よりはるかに弱々しく、最初は「緊張してるのか?」と考えた。藤沢は常磐津で鍛えてるはずなのになぁと首をひねったが、よく見ると死の前年の収録。さすがに声に力がないのが悲しい。朗読は本職の人なので安心して聞ける。ちなみに中身は本と同じッス。
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(2)PHPカセットテープ集 河島喜好が語る 本田宗一郎の生き方・考え方 河島喜好語り、PHP研究所制作、著作
ホンダの経営者の座を本田宗一郎と藤沢武夫から受け継ぎ、アメリカに工場を建設。ホンダ―ヤマハ戦争に完全勝利し、個人企業から社会的責任を有した大手企業への脱皮を実現させた河島喜好氏による本田宗一郎の回想記。河島氏ご自身は、戦後すぐに本田技研に入社し、ホンダ初期の歴史を彩るエンジン、バイクを設計。世界的知名度UPの要因となったマン島TTレースでは監督としてチームを率い、レーサーの育成を含めた日本のレース文化の嚆矢となっただけでなく、チームのレーサーの事故死など、当時ただの課長だったにもかかわらず凄まじい経験をされてきた人物。研究所の所長が向上運用経験を積んだうえで社長に就任するというルートもこの人から。藤沢が仕込んだ本田宗一郎伝説の裏を知り尽くした人物なので、これまでは宗一郎伝説を否定も肯定もしないという立場を貫いており、ご自身の著作は無く、インタビューも物凄く少ない。ずっと探してて、ようやく入手したのが本ではなく、このカセット集。しかも朗読もご本人になっており、レア度はすごく高め。自らは創業者ではなく後継社長という強い自覚がある上、社外であるPHPの商品なのでえぐい描写は無し。田舎の中小企業のワンマン社長に過ぎなかった本田宗一郎が、東京に移った後、新興企業の看板社長としての振る舞いを一生懸命努力、勉強して身に着けたのに感心したと、高く評価してた所が印象的。よく見ると定価は12,000円と高額だったので、これが激レアな主要因だと思う。
関連リンク
・ ホンダ50年史
河島元社長のインタビューが多く資料的にも貴重。E型箱根越え編は神話を否定するネタも多く必読!
社団法人自動車技術会HPにある河島喜好氏のインタビュー。インタビュアーは当時のホンダエンジン設計者の核である伝説の技術者新村公男氏。「新村:本田宗一郎さんがあと三年くらい居たら会社が潰れたでしょうね。」「河島:そうかもね。でもそこが宗一郎さんの偉いところよ。」って会話がすげぇ。河島氏が藤沢から大きな影響を受けている事を自ら語るのも貴重。めっちゃ面白い、要チェックだ。
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