1891(明治24).1.26~1945(昭和20).8.20
関東大震災のどさくさに紛れて、社会主義者、大杉栄(おおすぎ さかえ)とその妻、幼い甥の3名を殺したとされる、元憲兵大尉。 後に、中国に渡り、数多くの謀略工作に参加。満州国建国の際、陰の立て役者の一人となる。満州国建国後は、初代民生部警務司長(満州国における警察機構のトップ)、満州協和会 総務部長(満州国における統一政治組織、戦時の日本の大政翼賛会と同じような組織)、満映理事長を歴任。日本の敗戦直後に、満映理事長室内で毒を飲み自決。
注目理由
一般的には、ヒステリックで残虐非道な軍人、満州の陰の支配者とも呼ばれる暗黒街の人物のイメージが強い。映画「ラストエンペラー」で満映理事時代の彼を坂本竜一が演じていたが、その描かれ方がまさにそう。しかし、彼を知る人たちの人物評によると、そのような暗いイメージだけで語れる人物ではなさそう。それどころか、血も涙もある大人物らしい。軍国主義の時代の価値観を脱着できないという限界はあるにせよ、言ったことは命がけで必ずやるという姿勢が好ましい。常人では担いきれない重荷を背負って生き抜いた、その苦悩と強さに惹かれますね。ビックコミックオリジナル連載中の「龍(RON)」満州編では主要人物として出てきます。
関係者の証言
武藤富男氏(満州国総務庁弘報処長)
「甘粕は私利、私欲を思わず、そのうえ生命に対する執着もなかった。彼とつきあった人は、甘粕の様な生き方が出来たら・・と羨望の気持ちさえ持った。また、そこに魅せられた人が多かった。」
森繁久弥氏(当時新京放送局勤務)
「満州という新しい国に、われわれ若い者と一緒に情熱を傾け、一緒に夢を見てくれた。ビルを建てようの、金をもうけようのというケチな夢じゃない。一つの国を立派に育て上げようという、大きな夢に酔った人だった。」
参考文献
(1)甘粕大尉 角田房子著 中公文庫
2000年時点で、もっとも手に入りやすいと思われる甘粕関係の本。甘粕のあまり知られていなかった、満州での能史としての活躍を知らしめた功績は大きい。非常に読みやすく、何より感情移入のしやすい良い本。
(2)私と満州国 武藤富雄著 文藝春秋
甘粕の満州国における友人の一人である著者の満州国回想記。甘粕の写真も2枚載ってます。終戦直前、生きて日本に帰ろうとする筆者と、すでに死を決意していたであろう甘粕とのヤマトホテルでの最後の別れのシーンがグー。同じ筆者の「甘粕正彦の生涯」が欲しいよ~ぅ。
(3)幻のキネマ満映(甘粕正彦と活動屋群像) 山口猛著 平凡社
満映の誕生からその終焉までをきっちり調べて書き込んだ本。甘粕在任中の内容が約2/3を占め、甘粕が日本にいられなくなった右翼、左翼、アナーキストらを清濁併せ呑む形で庇護、駆使していたようで、思想的には全く異なる人たちからも人間として一目置かれていたことがわかる。調査、インタビューは非常に広範囲に渡っており、「甘粕大尉」で書かれていなかった敗戦後の満映についてもきっちり書かれている。甘粕の写真も多数あり、巻末の参考文献も非常に参考になる。1冊だけ読むのならこの本が良いかも。なお、帰国した満映の人達は甘粕と共に満映を支えた根岸寛一らの尽力によって出来た「東映株式会社」に受け入れられることとなる。
(4)帝都物語 荒俣宏著 角川文庫
魔人「加藤保憲」が帝都東京を滅ぼそうと、明治から昭和70年(!)にかけて暗躍するスパー伝奇ノベル。史実とフィクション、科学とオカルトの絶妙のバランスで一気に読ませる。何より小説中で示される、”驚異的な新情報の大波”がすばらしい、荒俣氏の最高傑作!この本の中で、甘粕正彦は「実在した加藤保憲」のごとく描れており、いわば、社会の闇に生息する「非常に危険な人物」といったところ。帝都物語では2.26事件の首謀者とされた「北一輝」と甘粕が小説向けに非常に拡大された人物像として描かれている。
(5)哀愁の満州映画 山口猛著 三天書房
(3)の本の続編。前作と異なり、執筆後の10年間で新たに発見された資料の公開に重きが置かれているためか読み物としてはそれほど面白くない。甘粕についての新たな情報もほとんど無し。ただ、李香蘭こと山口淑子さんが中国人の振りをし続けるのに耐えられなくなり、理事長室で甘粕に「満映を辞めたい。」と告げたところ、「気持ちは分かる。」と言って怒りもせずにその場で契約書を破り捨てたエピソードがあり、印象に残りますね。
(6)獄中の人間学 古海忠之、城野宏著 到知出版社
ソ連、中国で18年に及ぶ抑留生活を余儀なくされた、二人の人物による対談集。古海さんは満州国政府高官で甘粕の親友。自殺を最後まで止めようとしていた人物で彼宛の遺書も残っている。甘粕の話が出てくるかと思ったが全然出てこなかったので、ちとガッカリ。どうやら、古海さんの別の本「忘れ得ぬ満州国」に出てくるようだ。ただ、甘粕と友人付き合いのできる人物がどういう人かがよくわかる。頭もいいし、実行力もある。何より、肝が据わってる人物みたいです。対談相手の城野氏は中国で1949年まで毛沢東率いる共産軍と戦った幻の軍隊「山西野戦軍」のメンバーですね。当初、古海氏を甘粕の妹さんの旦那さんと思いこんでましたが、義弟は星子敏雄さんですね。はずかし~い。
(7)橘外男ワンダーランド-満州放浪編 橘外男著 山下武編集 中央書院
「甘粕正彦とその子分」に甘粕が直接登場。(1)の本でも書かれているが、満映入社が決まり甘粕に挨拶に行ったところ、「紹介者の顔を立てて入社は了解したが、あなたにぜひ来て貰いたくて呼んだわけではない。」と言われた著者が、甘粕と彼が象徴している満州国に対して、いかにむかついたかを書いた作品。満映の持つ「官僚的雰囲気」がよくわかる。作者の性格もあるのだろうが、この扱いを受けたわりには甘粕個人への憎悪はそれほど感じられない。橘外男の本は始めて読んだが、社会の底辺から独力ではい上がった人生経験のためか視点に好感が持て、文体も坂口安吾からインテリ臭を抜いた感じで良いですねぇ。「甘粕~」の後に収録されてる終戦後の満州での経験を描いた作品は特に良いです。他の本も読も~っと。
(8)目撃者が語る昭和史-第3巻満州事変 猪瀬直樹監修 平塚柾緒編集 新人物往来社
歴史的事件の渦中にあって、事態を左右し、その推移を見守ってきた人々の証言により構成された記録集の第3巻。武藤富男氏による『満州建国の黒幕・甘粕正彦』が収録されているが、本(1)、(2)の要約と見て良い。満州国代表となった甘粕が大杉事件の担当検事だった岩村法務大臣と会うときの話が、ちと面白い。一つ一つの証言は短いが当事者による記録がずらりと並ぶだけあって、興味深い内容と迫力に満ちた良い本だと思う。
(9)橋本大佐の手記 橋本欣五郎著 中野雅夫編 みすず書房
甘粕と満州の帝王にした大きな要因は、満州事変勃発直後、政府が事態収拾を図る中、単独でハルピンにおける爆破テロを敢行して、軍を北満に導くきっかけを作った事にあります。これにより張作霖爆殺事件の時と異なり、事態は収拾されず、満州国成立まで到ったわけですね。このテロ工作は日本で満州事変を指揮する橋本にとっても、全く思いがけないものであったとのことで高く評価しています。同じく満州事変収拾の妨害を策した橋本のクーデターは失敗してるわけですしね。甘粕がフランスから帰国し満州で謀略に携わるまでの過程についてはこの本の中でも触れられておらず謎のままですが、満州事変時の謀略資金を甘粕本人が集めて回っていた事は興味深いですね。
(10)内田吐夢-監督生活五十年 内田吐夢著 日本図書センター
戦前から活躍していた映画監督で戦後は飢餓海峡や宮本武蔵5部作が有名。昭和20年の5月に満州に渡って満映の参与となる。服毒自殺した甘粕の最期を見とった人物。第2章「十年間の満州」は甘粕の記述に終始しており、甘粕から直直接指示を受けるポジションにあったとはいえ、よほど印象が大きかったのだろう。終戦後、最初に満映にやってきたロシア将校が「甘粕は何処にいるか!」と彼を捜すエピソードは貴重。映画監督の自伝のためか、対象への独特の距離感と自己を格好良く見せようとする意志が感じられるが、面白い自伝である。これまでは、高くて手に入らなかったが「人間の記録」シリーズで安く手にはいるようになったのは嬉しい。内田吐夢に興味のある方は、「幻のキネマ満映」や「私説 内田吐夢伝 鈴木尚之著 岩波現代文庫」との併読をお薦めします。
(11)忘れ得ぬ満州国 古海忠之著 経済往来社
満州国を造りあげ、運営し、敗戦後、事実上の最高責任者として18年間拘束、抑留された満州国の象徴というべき人物による、満州国の記録。忘れ得ぬ人して、甘粕を1章を割いて取り上げている。「私の長い生涯を通じても、甘粕との交際いの様に何のこだわりも気兼ねもなく、心のままに気持ちよく、いわば真の人間的交際いのできる男性との出会いは、そうあるものではない。彼の性格の一つ一つが、その全人格が私には大きな魅力であった。」と語る氏は、多くの人がその一面しか見ていない複雑で非凡な甘粕の全体を知り、愛していた人物であり、その自殺直前の記録は、(10)に描かれた自殺の瞬間の記録と共に貴重。氏曰く、甘粕を一言で言うなら「男が惚れる男」なんだそうだ。ちなみに、古海氏は星一が立てた7階建ての星製薬ビルを起源とする、TOC(東京卸売りセンター)の社長もつとめた。
(12)断影 大杉栄 竹中労著 ちくま文庫
大杉を起点として、大正アナーキズムの興亡について書いた作品。大杉事件の背景として①過激派の排除、②天皇制の護持、は良く取り上げられていることであるが、大杉の母方の従兄弟である山田良之助(京都師団長)とその義弟田中国重(近衛師団長)を、出世コースから蹴落とそうとした「石光真臣(震災当日の東京衛戍司令官、石光真清の実弟)」と「水野錬太郎内務大臣」の共作であり、朝鮮憲兵司令部で真臣の副官をしていた縁で、甘粕が実行犯として指名されたとする、論説が興味深い。甘粕の著書「獄中における余の感想」では真臣が序文を書いているそうですが、どんな内容なんでしょうかねぇ?竹中労と夢野京太郎(竹中の筆名)の2種の文体が混在していて読みにくい点もあり、資料的価値もどうかと思うが、自らも民衆の視点を持つアナーキストとして生きた著者は、甘粕をステレオタイプに捉えず、大杉へと同量の共感を持って接している。竹中氏の未刊行の著作に「我が名は李香蘭-満映・葬られた歴史」が有るそうですが、ちくま文庫辺りで出して貰えませんかねぇ。
(13)甘粕正彦の生涯-満州国の断面 武藤富男著 西北商事
「甘粕正彦の生涯」が欲しいよ~ぅ。と叫んでおりましたら、白黒様が進呈してくださいました!うぉー、ありがとうございます~。心から感謝しております。
改訂版なので、斉藤敏男氏の注釈と親友清野剛と甘粕へ向けた追記「苦力と聖書」を含んでます。ちと感傷的に流れがちな武藤氏の著述部と、斉藤氏の冷徹な注釈と追記が良い具合に補完しあっていますね。「私と満州国」にはないエピソードも多く、「甘粕の満州における力の源泉は関東軍ではなく、古海、武藤ほか日系の官吏を自分の同志としていたことから出て来たものであり、謀略資金の多くも彼の管理する満映から出ていた。」という根岸寛一の談話は興味深いです。やはり、これを読んでいないと画龍点晴を欠くきらいがありますな。また、武藤氏が甘粕に歴史上に人物で誰が好きかと問われて答えた「日本武尊が好きです。この人は武人であり、詩人であり、その一生は英雄的で、しかも悲劇的です。」は、そのまま甘粕にも当てはまる気がしますね。
(14)美は乱調にあり 瀬戸内晴美著 角川文庫
本編は、大杉と共に殺された妻「伊藤野枝」を女学校時代の辻潤との出会いとから、神近市子に大杉が刺される葉山事件までの奔放でエネルギッシュな生き方を描いたもの。本編よりも、冒頭の野枝の親族と大杉と野枝の遺児へのインタビューの資料的価値が高く評価されている。野枝の義理の叔父である代準助氏が玄洋社に深く関わっており、彼を介して、大杉や野枝が頭山満や杉山茂丸、後藤新平等の知遇を得、資金援助を受けていたことや、殺される直前には5人の子供を抱えた現状を鑑み、転向を考えていた事などが記されており、貴重。また、子供を残された野枝の親族や、女の魔子さん(現在は真子と改名)、ルイズさん他、遺児達の成長期の苦労が伺える。殺された者にも家族がいるという視点は、あまりにも当然な内容故見落とされがちだと強く感じた。個人的には姉には迷惑のかけられっぱなしだった実妹ツタさんのインタビューが特に面白かったです。
(15)市ヶ谷台から市ヶ谷台へ-最期の参謀次長の回想録 河邊虎四郎著 時事通信社
著者は甘粕の幼年学校時代からの同級生。甘粕が取り調べを受けるため出頭する途中に、参謀本部にいる著者に別れを告げに来るシーンがある。甘粕事件について奔走していたところ直属の課長や部長から訓戒を受けたことや甘粕の「実はどうも仕様がなかったんダ」とのつぶやきが興味深い。ワシントン軍縮条約締結のあおりを受け、不快と排斥の眼差しを受けていた軍人への風当たりが、関東大震災という未曾有のパニックにより一変したことや、石原完爾直属の部下として参謀本部で働いた際に、想定外の混乱が起こった場合の石原の実務処理能力に疑問を感じた箇所など、他に興味深い記載も多い。とはいえ、自己の体験より当時の世界情勢の記載が多い為か、いま一つ読みにくいんですよねぇ。
(16)大連ダンスホールの夜 松原一枝著 中公文庫
大連育ちの女性による実見と戦後の調査を含めた大連回想記。満州事変の数ヶ月前に、反日の旗幟を鮮明にした張学良を牽制するため、学良によって山西省を追われた閻錫山を山西に航空機で極秘輸送し、学良の背後を突かせる謀略が取り上げられている。当時、まだ盟友関係にあった石原完爾と甘粕が共同で計画立案、実施に関わっているのが興味深い。結果、資金を援助し、閻を山西に送ったものの、既に学良とのあいだに密約があったと思われる閻は全く動かず、謀略としては機能しなかった。学良や稀代のマキャベリストたる閻の能力を石原や甘粕が見誤っていたことや、満州における甘粕の力の源泉として、当時中堅以上の地位で活躍していた幼年学校、陸士の同期達の協力があったことが感じられる。また、関東州における軍による初期の阿片謀略の記載などもあります。
(17)李香蘭-私の半生 山口淑子、藤原作弥著 新潮文庫
満映から、中国人「李香蘭」としてデビューし、歌手、女優として活躍した日本人女性「山口淑子」の半生記。戦後の国会議員の印象が強かったので読んでいなかったが、手にとって見ると、激動の時代を精一杯生きた女性の記録として、すんげぇ面白い。この手の本にありがちな自己弁護色もそれほどでもないし、甘粕の満映就任時に真っ先に首を切られた総務課長“山梨稔”氏や山家亨情報将校、吉岡中将など、昭和、満州国、満映の貴重な記録も多く含む。おいらがずっと探してた、赤川次郎氏の父が映画科学研究所主事で、敗戦後、甘粕の自殺を防ぐため部屋の外で見張りをしていた赤川孝一だと言うことも、あっさりとここに書いてあった。満映の父、甘粕は満州国のため意に沿わぬ中華電影責任者川喜多長政の暗殺を謀りマキノ光三に諫止される暗黒面と、物静かではにかみ屋の両面を記してある。彼女の甘粕感は川喜多の件を除けば、おおむね好意的。
1944年の秋、苦しんだ果てに、激怒されることを覚悟して、満映を辞めたいと告げた際、甘粕からは、「よくわかりました。長いあいだ、ご苦労様でした。」、「あなたが李香蘭でいることの不自然さはわたしにもわかっていた。満州国や満映はどうなるかわからないが、あなたの将来は長い。どうか自分の思う道を進んでいってください。できるなら日本映画界で発展してください。日本で仕事をされるにしても、つらいことが多いにちがいない。くれぐれも体を大事にして、自分の道を進んでください。」という、好意といたわりに満ちた言葉がかけられる。このとき机の上には岩波新書の「アラビアのロレンス(旧版)」があったそうだ。異国の友と、裏切られながらも捨去ることのできない祖国との板ばさみの中、自らを殺して生きたロレンスを読みながら、敗色濃い満州の地で甘粕は何を思ったのだろうか。個人的には、彼女に心引かれながらも戦地に赴き、マニラにて海軍陸戦隊と共に果てる児玉英水氏が、いかす。なんで、この男の良さにもっと早く気づかないのかなぁ・・。
(18)ルイズ-父に貰いし名は 松下竜一著 講談社文庫
大杉栄、野枝夫婦の遺児達の人生をルイズさん(父母の死後、留意子と改名、後に伊藤ルイと名乗る)の回想を軸に描く。生まれながらに負わされた「主義者の子」というレッテルの重みに時には潰されそうになりながらも実直に生きようとする姿が淡々と描かれる。最も重い荷を担わされた姉の死やすべての苦悩を引き受けてそれでもなお明るく毅然と立つ祖母の姿が印象的。ルイさんが少しづつ父母や社会、そして自分自身と和解して行くこともあり、重い題材にもかかわらず明るい読後感がある作品。ここまで語らせるとなると、お互いにかなり厳しかったと思うが、著者もルイさんもよく凌いだなぁと思う。「美は乱調にあり」とは補完関係にあるので両方読んだほうが良いです。なお著者の松本さんは中学校の国語の教科書で最も印象的だった「絵本」という作品の著者。結核で当の昔に亡くなった友人から、著者の子供達あてに絵本が届くという内容。これも死という重い題材を希望を感じさせる読後感で締めた印象的な作品でしたね。
(19)馬賊無頼-徳光武久と満州 島村喬著 番町書房
ハバロフスクの収容所に居た著者が、ロシア兵に対する報復テロの首謀者として拘束されていた、幼馴染の徳光武久と再会し、彼の大陸体験談をまとめたのが本書。馬賊にあこがれて日本を出奔。甘粕に張学良の副官「楊宇霆」の暗殺を示唆されるが、彼から「中国人は対支二十一ヶ条を突きつけられるまで、日本を英米の侵略から解放してくれるアジアの先進国として尊敬していた。」事を教えられ、改心。楊が学良に暗殺された後も、張学良の実弟張学思配下の馬賊団および阿片生産組織首領として、熱河地域で活動した。他の書では語られることが無いため、実在の人物かどうかはっきりしないが、満州国成立前の甘粕が「雄峯会」という子飼いのテロ組織を持っており、これが後の協和会に繋がっていくこと、直接暗殺を指示するのではなく、あくまで示唆という形で指令を与えること、資金源のひとつが久原房之介であったことなど、あまり知られていない内容も語られていて貴重。甘粕自身もテロ組織の親玉としてではあるが、それなりに奥行きのある人物に描かれていて興味深い。創作な感も強いですが、満州事変や熱河侵攻の裏事情など歴史認識もしっかりしていて、思っていたよりずっと面白い本でした。
(20)虹色のトロツキー 安彦良和著 潮出版社
満州建国大学に入校した日蒙混血児「ウムボルト」が、日本が満州国建国時に掲げた「五族協和」の旗印とそれと相反する現実に引き裂かれながらも、謀略と戦争の時代をまっすぐに生き抜こうとした姿を描く。安彦氏の「王道の狗」に連なる日本-アジア史ものの嚆矢であり、作品自体のまとまりや、力尽きたようなラストに不満はあるものの、「安江大佐とユダヤ人自治区計画」や花井正大佐の満州事変における位置の正確な描写など日本の占領政策の裏面を実に良く調べて書かれており、その綿密な調査内容には敬服の念を抱かずにいられない。甘粕は満州国の有力者として、頭の切れる才人として登場するが、物語が「ノモンハン事変」で終わっちゃってる為、残念ながら活躍の場は少ない・・。安彦さんご自身も最終巻の解説で語られているが、満州国の終焉や国共内戦、中華人民共和国の成立まで、頑張って書いてほしかったと切に思う。個人的には続編を期待しているのだが「ガンダム」始めちゃったから当分無理かなぁ。
(21)RON-龍(29) 村上もとか著 小学館
現在進行形の大河歴史漫画。この巻では皇帝の証「黄龍玉壁(ある種の放射性物質)」を追う主人公「龍」に対し、甘粕が自らが心血を注いで作り上げた満州国を「偽」から「真」の独立国にする為、列強とのパワーゲームを可能とする「玉壁」奪還を共通の目的として、探索の資金、組織を含む協力関係を結ぶ巻。だから表紙も甘粕。甘粕の心の核を「天皇陛下の赤子」と看破し、冷酷でも残忍でもない強権を持つ大人として甘粕を描いている。主人公の「龍」の個性が、話が進むにつれ弱く薄くなっちゃってるのが、ちと気がかりですが、このまま満州国崩壊と甘粕の死まで何とか書き切って欲しいものです。
(22)甘粕大尉-増補改訂 角田房子著 ちくま文庫
甘粕参考文献の筆頭に挙げられる「甘粕大尉」の増補改訂版。前著が出てから随分経つので、色々と新しい事実が追記されているかと思ったが、関東大震災の時に惨殺された中国人“王希天”の事件について、追記されている位でちょっとガッカリ。とはいえ、角田さんももう90歳。そこまで要求しちゃぁ、駄目って気もしますね。新装版が出て入手しやすくなったことで良しとしましょう。
(23)鞍馬天狗のおじさんは-聞書アラカン一代 竹中労著 ちくま文庫
「嵐寛寿郎の他に神は無かった」と言い切るほど、著者の竹中労氏が子供心に憧れた鞍馬天狗、アラカンこと嵐寛寿郎との足かけ3年に及ぶインタビューと綿密な調査によって書かれた「聞書アラカン一代」。アラカンの飄々として味わいのある語り口と、芸術ならざるが故に忘れ去られた映画史への思い入れが相まって、グイグイ読ませる名著。戦時中、団員を食わすために慰問団を組んで大陸の前線を巡業していた時に満州へ。甘粕の配下が大塚有章、木村荘十二など左翼の人ばかりで、日活を追われた根岸寛一やマキノ光雄がまるで共産党の失業対策をやってると驚いてるのが可笑しい。著者のアラカンへの敬意が全編に溢れており、繰り返し読む価値のある本です。
(24)キネマと砲声-日中映画前史 佐藤忠男著 岩波現代文庫
日露戦争で活躍し将来を嘱望されながらも、袁世凱の軍事顧問として中国の軍制確立に奔走した為、同胞である日本軍の憲兵によって父を殺害された過去を持つ映画人“川喜田長政”を核に、戦争の嵐が吹き荒れる中にあって、可能な限り中国に友情を保とうとした幾人かの映画人の姿を、同時代に中国で作られ、消し去られた映画たちを通して描く。川喜田氏率いる中華電影の中国擁護的経営方針に敵意を抱く満映内の甘粕の取り巻きに命を狙われながらも、甘粕のことを“それなりに高い理想を持つ人物であった。(中略)個人的には私のことを評価してくれていたと思う“と語り、親子そろって中国の為に同胞によって暗殺されるかもしれないという事に一種の滑稽さのようなものを感じていた、という川喜田氏の覚悟がかなり凄い。「幻のキネマ満映」に勝るとも劣らない作品と思います。
(25)失われた日記-満州から中国へ 残留日本人の軌跡 常澤巌著 東銀座出版社
料理と狩猟の腕前から甘粕に気にいられ、甘粕の公館を譲り受け満映福祉課の課長を務めた父と、甘粕の秘書を勤め、戦後も共産党員として中国に残った姉を持つ著者による青春時代の大陸回想記。狩猟を趣味とする甘粕の趣味面、敗戦直後に満映社員を集めて自決しようとした件、甘粕の部下であったY氏の公邸での自決など、これまで他の本で書かれたことの無い内容が、近親者からの聞書きと当事者の目撃として生々しく描かれる。後半は姉の同僚で同志でもある毛利さんこと大塚有章氏の秘蔵っ子として残留日本人を共産党率いる新国家建設の一助とする事で、帰国の日まで敗戦国民ではなく、少数民族として扱われるように奔走する姿が描かれる。大森ギャング事件の件があり、他ではあまり良くかかれない大塚氏だがこの本の中ではただ一人信頼出来る優秀な組織者、実行者として描かれているのが興味深い。最近の本の中では特筆お奨めです。
(26)芹沢洌評論集 芹沢洌著、山本義彦編 岩波文庫
著者は信州穂高の教育者井口喜源治の元で学び15歳でアメリカに移民。在米日系紙の記者として研鑽を積み、帰国後は新聞記者、フリーのジャーナリストとして民主主義と平和思想定着の為に奮闘したことで知られる人物。戦時中の日記「暗黒日記」は有名。藤沢武夫も尊敬する人物の一人に挙げている。本評論集は架空対談「甘粕と大杉の対話」を含む。出所間近の甘粕の独房に大杉が現れ、アナーキストではなくリベラリストとして、日本の急激な右傾化を甘粕に警告する。甘粕像は普通の軍人として描かれるだけだが、著者の投影像である死後の大杉が語る第一次大戦後のドイツの混乱と右傾化、愛国の名の下に殺人を含む暴力の容認傾向へ向けた警句は、それがまさにそのまま実現化してしまった悲劇を含めて、現代においても興味深い、強い力を持っている。個人的には「非常日本への直言」の冒頭に挙げたわが児へ与える序が、父であり教育者としての愛情と願いが滲み出ていて感銘を受けた。
(27)満洲経済-第二巻第五号(康徳7年5月号) 満洲経済社
建国10年目の満州国で発行された経済紙。満州国の成り立ち同様、この雑誌も純粋な経済雑誌と言うより、冒頭に満州国総務庁長官、武藤六蔵氏の記事を取り上げている様な官主導型の雑誌。協和会の会風刷新のために、一時満映を離れ、総務部長として大鉈を振るい、満映に帰任した直後の甘粕による時局提言「職場に於ける民族協和」を掲載。満州国のシステムが固まっていく課程で協和会の弊害が目に余る様になってきたことや、映画制作現場における、日系と満系のギクシャクした関係への警句が挙げられている。満映は他の組織に比べれば日満の関係は良好だったと語られる事が多いが、理事長としての甘粕から見ると少しでも目を離すとそっぽを向き合う傾向があるとのことで、日常職場での融和を積極的に推進しようとしていた甘粕の方針や願望といったものがわかる。
(28)東宮大佐傳 梁瀬春雄著 新絃社
本著に描かれる東宮大佐は河本大作と組んで、実際に線路に爆弾を仕掛け、実際に起爆スイッチを押して、張作霖を爆殺した張本人の東宮鐵男(かねお)。当時、張作霖爆殺に陸軍軍人が関係していたことは、公式には秘密であり、河本が軍を退くことで、一応決着したことになっている為、満洲移民の父としての業績を称える本著ではその事に触れていない。張作霖事件の責を問われ、いったん内地に呼び戻されるも、満州事変の勃発を受け、再び満州へ。満州への日本人進出の先駆けたらんとの志を常に抱く、東宮大尉は吉林軍の顧問でありながら、加藤完治と組んで満州移民の実現に粉骨砕身、努力を重ねる。電気もない極寒の地で苦労し、ようやく、移民ともどもその成果を見るにいたった時分、満州移民の父と謳われ慕われた氏は、支那事変の戦場にて命を落とす。彼の伝記の序を満州在の有力者である甘粕が書いており、満州という新天地を日本人の為に開き、軍人として自ら鍛えた兵を率いて戦い、戦場に果てた氏を、自らは軍を率いざる身のものとして羨ましく思うと書いている。
甘粕もこの東宮氏も、私利私欲がなく、満州への日本人の進出という夢にまったくの善意から打ち込んだにも関わらず、その成果が、泥沼の戦争と敗戦をもたらし、多くの満州移民たちの死、残留孤児といった、歴史上で日本人が体験したことのない大悲劇に終わったことを思うと、無私善意の行為がどこで間違っていたのかを、歴史の事実の中から汲み取っていく必要性について考えさせられます。
(29)創作噴血 秋山天水著 表現社
甘粕が国体に仇なす可能性の高い主義者を震災の混乱のさなか、殺害、排除しようとしたのは、彼の正義感と責任感の強さを考えると当然のことだ、とした甘粕擁護小説。今になって読むとその単純で感情的な無政府主義批判に苦笑してしまうが、当時の雰囲気と甘粕擁護者たちの主張を感じるには良いかと思う。まぁ、それだけといえばそれだけの代物なんですけど。
(30)ああ満洲 岡本功司著 表現社
主義者殺しの甘粕に嫌悪を感じ、頑として満映の禄は食まない決意でいた脚本家の著者は、戦況の悪化に伴う満鉄映画部と満映の合併により、無念を抱いて満映に入社する。そこで出会った甘粕正彦は、世間の喧伝する残忍非道な冷徹漢ではなく、火事場泥棒の巣窟とも言うべき満州にあって、皆が笑って省みない”五族協和の理想”に正面から向かいあい、彼なりに誠実に努力しつづける稀有な人物であった。甘粕の仕事振りと人への接し方を知り、評価を少しづつ改めていく過程や、フランスに渡る船中で他の乗客から黙殺指弾される甘粕を主義主張の差を越えてかばう茂木久平の男気と、満洲に地位を得てからもその恩を忘れず、失意の茂木に満映東京支店長の椅子を与える甘粕の義理堅さなど、噂から甘粕を嫌悪していた著者の言だけに、興味深いです。
(31)獄中に於ける予の感想 甘粕正彦著 東京甘粕氏著作刊行会
出獄後に出版された、甘粕自身の手による獄中記。大杉事件で懲役十年の判決を得て、服役中の所感が列記されている。角田さんの本などでは、将来に希望の持てない暗い内容として取り上げられているが、実際に読んでみると愚痴も多いが、社会批判や自己反省の方が強い感じ。覚悟した事とはいえ、すべてを失った苦悩の中で、「天皇教の絶対的な帰依者」としての自己を発見し、将来、時と場所を得ない理不尽といえる場に在っても、慫慂として死を受け入れる覚悟のある男になろうと、努力しているのはわかる。陛下の股肱として、自ら鍛えた兵を率い、戦場にて死ぬ事を理想として幼少から軍人を目指した男が、怪我によって憲兵に転科して戦場で死ぬ機会を失い、さらに大杉事件によって軍人として生きる道はおろか、社会人としての真っ当な将来すら断たれた三十男の獄中記としては、そんなに悪くないと思います。
(32)見果てぬ夢 星野直樹著 ダイヤモンド社
新たに建国された満州国に派遣された日系官吏団の長として、古海氏らを率いて渡満し、満州国の財政を確立。その余勢を駆って中央政界に乗り込み、大東亜省新設などに活躍。東条英機、松岡洋右、岸信介、鮎川義介らと共に「2キ3スケ」と称された官僚政治家、星野直樹による満州国回想記。著者自身は甘粕とはあまり付合いが無かったようだが、部下の官吏達と甘粕の間に親密な関係があった事が記述から伺える。功罪を別にすると、国家を名乗りながら、年度予算の考えも無い丼勘定という、全く行政機関の体を成していない中にあって、旧来の徴税機関の継承改革、慣習法の明文化等によって行政機関を作り上げていくという官吏ならではといった、ダイナミックな仕事の面白さが伝わってくる書と思う。
(33)未完の旅路-第五巻 大塚有章著 三一新書
吉川家家令という社会的身分は高いが裕福とまではいかない家に生まれた著者は、当時の早稲田の気風や義兄の社会主義経済学者河上肇の影響を受け、大地主の婿養子の地位を投げ出して、妻と共に労働運動、非合法下の共産党活動に邁進する。闘争資金確保の為に行われた大森銀行襲撃事件の首謀者として拘束され13年の懲役を経て出獄。新たに家族との生活を築く為に、志を隠して甘粕の率いる満映に勤める事になる。甘粕との直接の接触は少ないが、自ら中国人部下達の中に飛び込んでいく姿勢で、不満と不正が蔓延していた巡回映画部門の改革に成功。敗戦必須の状況下で全職員の生活の安全を管理する厚生課長に任命されている事からも、甘粕から能力を高く評価されていたように思う。敗戦の報を受けて、満映に集めた職員達の混乱と動向を、甘粕がドアの外から伺っている姿を見ており、社員たちの雰囲気を知ることで、玉砕から職員の安全な避難に方針を転換したのではないか、という考察は興味深い。これまで左翼系への偏見もあって避けていたが、読み始めたら止まらない、信じられないくらい面白い自伝。「夢酔独言」や「福翁自伝」ら評判の高い自伝と比べても、桁が違う面白さだ。自らの意思で選び取った波乱万丈の生涯(この言葉すら生ぬるい)が、世情への反論を最小限として、淡々と語られる。反逆者(=革命家)から見た、もう一つの大正、昭和史と言って良い貴重な内容。はっきり言って、これまで読んだ自伝の中では、ルソーの「告白」も含めて一番面白い。超スーパーお奨めです。
(34)回想甘粕二郎 「回想甘粕」二郎刊行会編 非売品
甘粕正彦の実弟で三菱信託銀行の社長、会長を歴任した甘粕二郎さんを近親者が偲んだ回想録。二郎さんの記録な訳だが、正彦関連資料としても相当貴重。とにかく親族関係の文章がこれだけまとまっているのは他になく写真も豊富。(陸軍幼年学校時代と思われる子供時代の写真あり)弟四郎さんが記録した母志けの回想に登場する幼少期のエピソードなどを含む。戦後、兄正彦に代わり甘粕家当主として親族達の生活を支えた事が、正彦の遺児達の回想に示される。巻末の甘粕家家系図は大変ありがたい。甘粕(見田)石介氏は従兄弟(父の次兄の子)であり、甘粕重太郎中将が父の長兄の子であることが家系図に示されている。なお、叔父二郎宅から東大に通った正彦の長男は、戦後大手電気メーカーの副社長を務め、娘さんは二郎氏の養女になったとの事。甘粕関連では必須資料の一つと思います。
(35)わが満支廿五年の回顧 国松文雄著 新紀元社
朝日新聞大連支局長などを務めたジャーナリストによる大正末期からの満州、支那回想記。天津を脱出し、甘粕が旅順に潜ませた宣統廃帝(溥儀)を列車で湯崗子温泉まで移動する際に、列車に乗るのは旅順駅からではなく大連駅近郊の沙河口駅からだと睨み、的中させる。溥儀の乗る列車に同乗した著者は、満州に入り虎口を脱したと判断した甘粕から追い出されることもなく、1時間近くにわたり今後の満州のあり方について歓談することになる。溥儀満州入りの小エピソードである。
(36)新聞の話 岡見護郎著 誠文堂
昭和5年にかかれた新聞の歴史と新聞発行までの実務内容についてかかれた一種の啓蒙書。末尾にある新聞記者苦心談の中に、出獄直後、軍による偽の会見記を報知、国民新聞が掲載したが、その内容をおかしいとにらんだ東京朝日の岡見記者が、甘粕が胃腸の調子がよくないという一点から足で温泉場を巡り、鳴子ホテルにてようやく甘粕を発見し、真の会見記をとることに成功したエピソードを取り上げている。新聞記者とばれないように、わざわざ我が子を引き連れて、日に数十件の温泉宿を巡るという泥臭い(でもある種微笑ましい)特ダネを抜くための苦労が記されている
(37)塵世無頼 小堺昭三著 集英社
月刊「酒」に連載された「酒徒列伝」33編のうち17編からなる奇人快人達の列伝。ノンフィクションとあるがそこまでの調査は行ってないようで、資料を基にした小説といった方が正しいか。“昭和の悪源太の最後“で甘粕を取り上げている。元ネタは武藤富男氏の“甘粕正彦の生涯“。安直なテロ礼賛がいかにも無責任な文化人の意見ぽくって好きになれないが、「右翼擁護者」の誹りを受けながら、単行本にまで収録した点は買おう。同郷(福岡)である火野葦平グループの先輩作家を取り上げた2編は、著者の実体験だけあって、それなりに深みのある良品。
(38)黒旗水滸伝-大正地獄編(上、下) 竹中労著、かわぐちかいじ画 皓星社
竹中氏とかわぐち氏の共作により、アナーキズムの勃興とその壊滅を描こうとした作品。両者とも優れた作家であるが、竹中氏があまりにも情報を断片としてばらまいている為か1+1が2になっているとは言い難い。大杉が一応全編を通じて主人公格として登場する。(もう一人の主人公は難波大介)最後が甘粕の出所で終わっていることから、たぶん続編の昭和煉獄編が書かれることがあれば、満州の甘粕が描かれる予定であったのだろうが、この出来だと続編は無理かなぁ。
(39)テロルの系譜-日本暗殺史 かわぐちかいじ著 ちくま文庫
かわぐちかいじの最初期作品の一つでいわゆるテロもの。朝日平吾が大言壮語型の田舎の暢気な青年として描かれているのがちょっと珍しい。大杉と甘粕の描き方はある意味非常にスタンダードで、最後まで挑発者としての大杉として描いている。主人公が各話ごとに決まっているので漫画としてはそれなりに読みやすいが、著者の最近の作品のレベルを期待してはいけない。なにより読者に歴史背景の知識を求めすぎ。それだけ今は立派に(というか偉大に)成長されたということなんでしょうけど。
(40)宵待草事件簿 古山 寛原作、ほんまりゅう画 新潮社
最初期の明智小五郎のモデルとも言われる乱歩の友人平山久を主人公に、黒旗水滸伝と同じテーマ、大杉に代表されるアナーキスト達の活動と壊滅が竹久夢二の愛人“お葉“を軸にした殺人事件の謎解きと絡めて描かれる。「黒旗~」同様、無駄に登場人物が多いが、狂言回しである平山の視点で描かれる姿勢が一貫しているので、ギリギリで破綻することなく、漫画としての出来は「黒旗~」より遙かに高い。大杉亡き後、同士達の復讐に至る経緯が丁寧に書かれているのに好感が持てる。とくに村木源次郎、和田久太郎、古田大二郎らの優しさと一徹さをよく伝えていると思う。甘粕は写真が手に入らなかったか為か、全然似てません。
(41)RON-龍(42) 村上もとか著 小学館
村上もとかの代表作にしてビッグコミックオリジナルの看板大河漫画堂々の完結。日本に原爆が落ちた時点で、黄龍玉壁を隠す意味ってあるのか?と思ったが、玉壁には玉壁の産地の秘密が隠されているので、大量破壊兵器の大量生産を回避するために隠す必要があるわけか。甘粕の死まで描ききったことには敬服するが、村上氏であれば描ききる技量を持っていると思うので、龍で描かれなかった“ていや小鈴一家の満州からの脱出行“をちゃんと描いてもらいたかった気はする。でもそれ描くとあと3年くらいかかっちゃうから無理だよなぁ。ラストシーンが唐突な印象だが、旧作“メロドラマ“のラストシーンで主人公達が二人とも生き残ったバージョンと思えば、あのハッピーエンドでいいのだと思う。村上先生、お疲れ様でした。
(42)陸軍法務官小川關治郎-2・26事件甘粕事件軍法会議裁判官 美和町歴史民俗資料館
町の民俗資料館発行だが実際の著者は小川氏の三女である長森光代さん。陸軍法務官であった小川氏は軍の意向を理解せず、甘粕事件の背景を法務官として厳しく追及したために審議途中で交代させられた人物。とはいえ、父も関与し、闇の中に沈められ事件について、関係者の血縁として出来る範囲で興味を持って調べておられたようで、当時憲兵司令部副官だった上砂勝七少将の著作「憲兵三十一年」に「大杉の検束は、小泉司令官が甘粕大尉に命じたもの」と書かれていると記している。あ、確かこの上砂さんも小泉司令官から別の主義者を拘束又は殺ってこいという命令を受けてたんだっけ。何かで読んだ気がする・・。
(43)バクロ雑誌眞相-第一巻第四号(1946年7月1日発行) 東京人民社
終戦の翌年に“八月十五日までは本当のことを爪のアカほども知らされなかった多くの仲間たちに、昔から今までの真実を語り、日本の反動政治家の陰謀や策動、不正行為の一切を、赤裸々に知らせようとする“趣旨で発行された雑誌。当時の風潮を反映した中道左派系出版物と言って良いかと思う。佃参六氏の“甘粕大尉は何をしたか“を掲載。大杉殺しの甘粕元大尉が軍の外郭機関として復活し、満州の影の支配者になっていたことが語られる。甘粕が満映職員の前で拳銃自殺したという説が1945年12月29日附け「朝日」の記事に依ること、甘粕、古海コンビが内務省から送り込まれた武部総務長官(武藤富男の上司)から実権を奪ったと目されていたことなどが記されている。思ったほどヒステリックなバッシングではなく、小東条とでも言うべきファシストではあるが、それなりに“人物”であったという論調で書かれている。この文章が書かれたのが終戦から1年も経って居らず、まだ東京裁判の最中だったことを思うと記載されている情報や視点はなかなか大したものと思う。
(44)久さん伝-あるアナキストの生涯 松下竜一著 講談社
著者が「ルイズ-父にもらいし名は」の執筆過程で興味を持った、大杉らの盟友で大杉の敵討ちの為に福田戒厳令司令官を暗殺しようとして果たせず、獄中で縊死したアナーキスト和田久太郎の生涯を追った著。宿痾の性病故、自殺未遂と労働運動への挺身を繰り返していた幾分か剽げた男が師であり友でもある男の仇と睨んだ陸軍大将の命を狙うものの、失敗。初弾に暴発防止用の空砲が装填されていることに気づいていなかった為という、ある意味彼らしい悲劇ともいえる。この本を読むまで、アナーキズムだと社会改良できないじゃんと思っていたが、大杉や和田らの信条であるアナルコサンジカリズムは、労働組合を軸とした労働者の団結により社会の改良を図ろうとするものであり、この考えは性善論に基づくもっと現状肯定寄りの労働運動である賀川豊彦らのギルド主義と対比できる関係にあることがようやく理解できた。
(45)海の歌う日-大杉栄・伊藤野枝へ-ルイズより 伊藤ルイ著 講談社
「ルイズ~」、「久さん伝」の出版を契機に松本氏の薦めを受けて、大杉と野枝の実子である伊藤ルイさんが筆を執ったのが本著。同郷で近衛家の女中をやっていた女性から、「情報局の天羽さんという方(天羽英二か)から『僕は大杉、野枝、橘宗一の遺骨を預かっており、今は浜松の方のお寺に預けてあるが、その子供さん達に返さねばならんね。』と言っていたことを伝えられたエピソードが記されている。(右翼に奪われ警察から返却を受けた三人の遺骨の一部が残っていたのか、遺骨そのものが別物だったのかは謎。)また、「久さん伝」ではアナーキストとしての矜恃から松本氏のインタビューを断った大杉らの同士望月圭氏の遺族が長野を訪れたルイさんを親族として温かく迎える姿も印象的。普通の主婦が手に職を持ち、自立したのを契機に、端から見れば熱心ともとれる活動家に成長していく記録として読むこともでき、文章も中々に読ませるものと思います。
(46)甘粕大尉 角田房子著 中央公論社
「甘粕大尉」の最初に出たハードカバー版。自分は文庫版から入ったので、この本は持ってなかったが、手にしてみると、文庫版と違い多くの写真が掲載されているのに驚く。甘粕事件裁判時の写真もこの本が初出。甘粕に興味を持ったのも、文庫版に写真が掲載されていなかった事に端を発しているので、いきなりこの本から入ったらこのページ自体が無かったかも知れない。(笑)やはり写真の威力は偉大で、ちくま文庫の最新版よりある意味優れていると思う。価格の問題もあるのでしょうが文庫版にも、もうちょっと写真入れてください。
(47)映画史研究No.19-満洲映画協会の回想 坪井与著 佐藤忠男、佐藤久子編集・発行
映画史研究家の佐藤忠男、久子ご夫妻発行の雑誌。本号は100pに及ぶ丸々一冊が満映発足時から関わった幹部職員である坪井与氏による満洲映画協会の全記録。戦後最初の本格的な満映の記録。「幻のキネマ満映」他、すべての満映関係書の元資料といって良い書であり、満映設立の背景から組織の変遷、年ごとのすべての作品の関係者と粗筋を記してある。坪井氏は自ら甘粕派を自認している人物だが、巻末に“甘粕先生の憶い出“の章を設けてその清潔で情に厚い人柄を追悼している。坪井氏自身が甘粕の配慮で招集を免れて命拾いした経験を持ち、海南島総督に擬せられた甘粕がそれを断るエピソードなど貴重な記録を多く含んでいる。坪井氏は甘粕の葬儀の際に満映の娯民映画所長として先頭に立って棺を引いた人物でもある。古書だと中々高価な品であったが、買って良かった。
(48)中華電影史話[1939-1945]-一兵卒の日中映画回想記 辻久一著、清水晶校注 凱風社
東大の学生時代から映画評論家として活躍していた著者は、一兵卒として招集された後、その豊富な映画知識を買われ、軍と上海映画界の間を取り持つ特殊任務を与えられる。日本軍による上海占領の興奮醒めやらぬ中、自らの命をかけて上海の映画人達を保護するという固い信念をもつ川喜多長政は、寸鉄も身に付けずに折衝の場に赴き、築き上げてきた信頼関係を元に混乱無く接収を完了する。川喜多を守るべく、使ったこともない拳銃を胸に忍ばせてその場に同席した著者は、川喜多の熱誠に圧倒されるばかりであった。
日中戦争の最中にあって、上海映画人達の身分と生活を守って制作を継続し、唯一成功した文化工作と謳われながら、戦後は対日協力者(漢奸)の作として、中国映画史から抹殺された中華電影の誕生から終焉までを、中華電影そのものとも言える川喜多長政の思想と行動、彼を信頼し上海に残った張善琨ら中国の映画人達の活動を通して記録すると共に、中華電影の全作品リストを掲載している。“キネマと砲声”の元ネタで“映画史研究”に掲載された文章がベースになっている。(47)の中華電影版であるが映画研究史への掲載はこちらが先。とにかく「男が惚れる男」川喜多長政が熱い。李香蘭こと山口淑子さんが舞台やTVで取り上げられることが多いですが、それも川喜多にとっては終戦時のエピソードの一つに過ぎない訳で、川喜多さん主役で大河ドラマも作れると思いますがどうでしょうか。
(49)憲兵三十一年 上砂勝七著 東京ライフ社
憲兵大尉であった著者は関東大震災時に被服廠跡にて、妻と二人の幼児と義弟を喪う。戒厳令下のある夜、甘粕と同様に、社会主義者福田狂二の逮捕を命じられた著者は、補助憲兵10人を連れて彼の寓居を襲う。「検挙の噂を聞き、大阪に避難する準備をしている所です。不穏な行動は致しませんからお見逃しを願いたい。」と懇願する福田と、その背後に傅く妻と幼い娘の姿を見、わざと福田を見逃す。本命令の指示者の名は直接的には語られていないが、階級も同じ大尉である著者は本著で、事件前、罹災により憲兵司令所で保護されていた少年に毎日菓子や果物を与える子煩悩な甘粕の姿と共に、時の憲兵司令官小泉六一中将から甘粕に大杉栄検束の命が下ったと明記している。当時、ほぼ同じような立場であった人の言であり、命令がどこから出たかの議論については、説得力の高い意見と考える。他には、台湾の憲兵司令官も務めた著者が、憲兵組織の在り方とその問題点(特に海軍や警察組織との対立、他科から転任してきた司令官が憲兵の役割を認識していないことの弊害など)と共に、終戦後巣鴨に収容されたときの様子などを記している。また、甘粕も大杉検束の命を受けず、軍に残って順調に出世していれば、終戦時には少将、憲兵司令官となりうる世代だったことも興味深かった。
(50)乳幼児のたんれん スピリーナ著、甘粕和子訳 新読書社
旧ソビエト連邦時代の1967年にソ連で出版された書を1974年に翻訳出版したもの。当時から女性の社会進出擁護の為、0歳児保育の進んでいたソ連において、0才から幼児に対して行う健康増進運動の手法についてイラスト、写真を多く含んだ形で体系的にまとめてある。0才の乳児に対しても介添えの形で運動(負荷は当然小さいが)及びマッサージを行うって発想がちょっと凄い。ここで取り上げるのは、訳者が早稲田大学文学部露語科を卒業し、ソ連関係の機関に勤務されていた、甘粕の次女和子さんと考えるから。和子さんが露語を学び、職業とするに至った経緯に、甘粕の自決後、家族は満洲から苦労して引き上げてきた事が関係しているのかなぁと思ったりします。
(51)満州国の断面-甘粕正彦の生涯 武藤富男著 新代社
戦後、盟友武藤富男氏が甘粕復権の狼煙を最初に打ち上げた書。新装版とは本題と副題が入れ替わっており、最初の版である本著では副題が“甘粕正彦の生涯”となっている。“甘粕のニヒルは、決して捨てばちとか、自暴自棄的なものではなく、すぐれた資質を持つ軍人が、生来的に供えている、あのニヒルであり、全体のために個を空しうする一種崇高な精神であった。(中略)だから彼のニヒルは日本的といえば、日本的と呼ぶべきものであるが、どちらかといえば、死の深淵に直面しつつ、神のために生きるニヒルと同系列に属するものであった-もっとも、神の地位に民族が置き代えられてはいるが。“など、甘粕の本質に迫る考察も多く、角田さんの「甘粕大尉」など、後世の甘粕像に大きな影響を与えた書と考える。ただ、入手のしやすさや、注釈、追記を含むことなどから、苦労してこの版を探すよりは、新装版を入手されることをお奨めします。
(52)甘粕正彦-乱心の荒野 佐野眞一著 新潮社
甘粕と一緒に裁判を受けた下士官達の遺族にも調査を行い、大杉夫妻殺害の実行者にたどり着いた書。前作の“阿片王~”は正直アレでしたが、今回は冒頭の妙な煽り以外は地道な調査に基づく良著。殺害の実行者も色々知った今となっては「まぁ、そうだよな。」と納得させる内容かと。ここまで来たら実行者に殺害を指示した人物と甘粕を指名した人物を特定してもらいたかった所ですが、一応示唆はしているから良しとしますか。甘粕の末弟で学生時代はギロチン社の報復の標的にされ、兄弟の内で最後までご存命であった五郎さんが、甘粕事件の真相を生前に知ることが出来たという事は喜ばしい。題名がちょっと煽り過ぎな気もしますが、(甘粕は基本的に全然乱心して無い)甘粕本は基本これだけ読めばいいと思う力作です。
(53)マンガ大日本帝国満州特務機関 黒井文太郎原作、峰岸とおる画 扶桑社
満州を舞台に繰り広げられた日本の特務活動を一番のキーパーソンなのに何故かこれまであまり言及されてこなかった土肥原賢二と彼に縁の深いジャーナリストの視点で描いた作品。満州特務工作ネタなので当然甘粕も登場。描かれ方も乱心の荒野等、最新の情報を用いて、描かれている。(まぁ、大杉一家は斬殺でも銃殺でもないですが・・。)ベテラン峰岸さんの画力、構成が安定していることもあり、登場人物を詰め込みすぎて発散しすぎなこの手の作品にしては、安心して読める力作。何より土肥原を軸に持ってきたのが成功の理由かと。白黒様、ご紹介いただきありがとうございました。
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